【日琉同祖論】
日本人と琉球(沖縄)人は、
その起源において
民族的には同一であるとする説。
歴史的には
16世紀の京都五山の僧侶等によって唱えられた
源為朝琉球渡来説に端を発し、
それが琉球へ伝わり
17世紀に摂政・羽地朝秀が編纂した『中山世鑑』に影響を与えて、
明治以降は沖縄学の大家・伊波普猷によって詳細に展開された。
【日琉同祖論の起源】
源為朝琉球渡来伝説
【源為朝琉球渡来伝説】
16世紀前半には
すでに日本において文献に現れている。
現在確認されているその初出は、
京都五山の臨済宗僧侶・月舟寿桂
「鶴翁字銘井序」においてである。
【月舟寿桂(げっしゅうじゅけい)/1470-1533】
-臨済宗の僧侶
-近江国出身
【「鶴翁字銘井序」の源為朝琉球渡来伝説】
月舟は信憑性は分からないがと断りながら、
「日本には、源為朝が琉球へ渡って
支配者(創業主)となったという伝説がある。
そうであるなら、その子孫は源氏であるから、
琉球は日本の附庸国である」という内容を記している。
つまり、源為朝来琉説が、
16世紀前半には
京都五山の僧侶の間で
ある程度流布していた事実が確認できる。
この源為朝来琉説が、
日琉間の禅宗僧侶の交流を通じて琉球へもたらされ、
それが後年、羽地朝秀が
「中山世鑑」を編纂する際に影響を与えた可能性が指摘されている。
【正史】
東アジア諸国において、
主に国家によって公式に編纂された王朝の歴史書
【中山世鑑(ちゅうざんせいかん)】
-1650年成立
-羽地朝秀が王命により編纂
-薩摩支配下において書かれた琉球王国の初めての正史
-源為朝が琉球に逃れ、その子が舜天になった記述がある
-和文体
【中山世譜(ちゅうざんせいふ)】
-1697年に蔡鐸が中心となって編纂がはじまり、
1701年に完成
-中山世鑑を漢文に訳し部分的に修正
-中山世譜は、義本の姓を「源(みなもと)」としている。
【禅宗】
悟りを開く事が目的とされており、
知識ではなく、悟りを重んじる。
【臨済宗】
-師から弟子への悟りの伝達(法嗣)を重んじる
-同じ禅宗の
曹洞宗が
地方豪族や一般民衆に広まったのに対し、
鎌倉幕府、室町幕府という
時の武家政権との結び付きが強かったのも特徴の1つで、
京都五山、
鎌倉五山の
どちらも臨済宗の寺院で占められているほか、
室町文化の形成にも多大な影響を与えた。
その後、足利氏の権勢とともに臨済宗も衰退していった。
【五山(ござん)制度】
-中国・日本における寺格の一つ。日本においては、主に臨済宗の制度であった。
-1299、鎌倉幕府執権北条貞時が浄智寺を「五山」とするように命じたのが日本における最古と伝わる。
【京都五山】
五山の制のうち京都の禅宗(臨済宗)の寺格、官寺制度
【法嗣、はっす】
法嗣という師匠から弟子へと悟りの伝達が続き現在に至る。
師匠と弟子の重要なやりとりは、
室内の秘密と呼ばれ師匠の部屋の中から持ち出されて
公開されることはない。
【曹洞宗の宗紋】
-竜担(永平寺:福井県)
-桐(総持寺:神奈川県)→足利氏
メモ:
-ペルシャ→中国→達磨→禅宗→曹洞宗
-道元/1200-
追伸。
昨日(2020.3.11)、
「義本王の妃」の墓に
行って来ました。
備考:
北山王国
北山世主(ほくざんせいしゅ)
天孫氏
前北山時代:天孫氏
中北山:大舜(舜天の兄)
メモ:
-大舜の嗣子
-舜馬順煕の次男:今帰仁世の主
-舜馬順煕次男の嗣子
-湧川王子:英祖王の次男
-湧川按司:湧川王子の長男
-今帰仁按司一世:湧川按司の長男
-仲昔今帰仁按司丘春:今帰仁按司一世の長男
-今帰仁仲宗根若按司(-1322):怕尼芝に敗れ戦死
-今帰仁王子→伊覇按司:若按司の八男
-伊覇按司二世
-二世の嫡男:伊覇按司三世→首里へ
-二世の次男:護佐丸盛春
【怕尼芝】
-仲昔今帰仁按司の従兄弟
-羽地の有力按司
【今帰仁王子】
-越来間切嘉手苅村
-妃:眞鶴金
-伊覇城→伊波城を築いた
【山田(読谷山)按司】
今帰仁王子の子
【伊波按司の娘】
-護佐丸の叔母
-尚巴志の妃
【護佐丸盛春/1390?-】
-山田(読谷山)按司の養子
-尚巴志と北山王国を滅ぼした
-北山守護職
-座喜味城
-1440、-中城城へ移る
【尚巴志の血筋】
英祖の5男→屋蔵(八蔵)大主
鮫川大主→佐敷按司
1354-、思紹→尚思紹王
1372-、尚巴志
1415-、尚泰久:護佐丸の娘を正室
1441-、尚徳
【尚泰久(たいきゅう)王/1415-1460】
-配偶者:護佐丸の娘
-長女:百度踏揚
-三男:尚徳
【百度踏揚(ももとふみあがり)/生没年不詳】
-配偶者:阿麻和利→越来賢雄
【勝連按司】
-大成王(英祖王系二代目)の五男
-伊波按司
-浜川按司
-茂知附按司
-阿麻和利(屋良生まれ)、百度踏揚
【尚徳王/1441-1469?】
-第一尚氏王統最後の国王
-尚泰久王の子
【空広(そらびー)→仲宗根豊見親】
-天順年間(1457-1464)生まれ
-1474、宮古島の島主